三条西実隆さんじょうにしさねたか 墨蹟古筆古書跡 下冷泉政為しもれいぜいまさため 和歌短冊 軸装
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後柏原天皇 ごかしわばらてんのう ごかしはらてんのう
室町時代後期~戦国時代の第104代天皇
1464 寛正5年10月20日 後土後門天皇第一皇子 として生 母は庭田朝子。
1500 明応9年10月25日 後土後門天皇崩御により第104代天皇となる。
応仁、文明の乱により式典は行われず。
1521 大永元年3月22日 即位の礼。財政難で22年経過していた。
1526 大永6年4月7日 崩御
和歌を好み柏玉集、後柏原天皇主催着到和歌を残す。能書家
三玉白短冊
柏玉集
寒可らぬ さむからぬ
風の希し起裳 風の景色も
身耳志三て 身にしみて
な飛く尓堂衣ぬ なびくに堪えぬ
青柳の糸 青柳の糸
公条 三条西公条 さんじょうにし きんえだ
寒くない風にも青柳の枝は糸の様になびいてしまう
幕府が弱く 管領は勝手に戦をする
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三玉白短冊 三玉は後柏原天皇の柏玉集、三條西実隆の雪玉集 下冷泉政為の碧玉集と云われ
重用されている。
永正六年九月九日 後柏原天皇主催着到和歌
国立公文書館内閣文庫 著到和歌 蔵書
9月21日 柳無気力 後柏原天皇の所望により題を実隆が決める
15名による歌合 春の十三
三条西実隆
柳無気力 やなぎにきりょくなし
水鳥乃 波尓志られぬ 者可せさへ みえて可多よる 青柳のいと
みずとりの はにしられぬ はかぜさえ みえてかたよる あおやぎのいと
康親
小倉 季種
元帳
飛鳥井 雅綱
為孝
水宣
公音
三条西公条 実隆の二男
寒可らぬ 布風の介し起裳 身耳志三て和歌
奈飛く尓堂衣ぬ 青柳の糸
清継
重治
守光
伊長
下冷泉政為 冷泉持為の子
吹可せ乃 たえ間をみる裳 青柳の な飛具ハをの可 心徒可ら超
ふくかぜの たえまをみるも あおやぎの なびくはおのか こころつからを
和長
永正6年は西暦1509年
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布く風乃 吹く風の
堂衣万をみ霤毛 たえまをみるも
あ越やきの 青柳の
奈比く者を能可 なびくはをのが
心徒可ら越 心ずからを
政為 下冷泉 政為 しもれいぜい まさため
風が吹き止む間も 青柳は自ら 葉をなびかせている。
戦国時代にあって 強い武将になびく 朝廷の姿。
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三条西 公条 さんじょうにし きんえだ
室町時代後期~戦国時代の公家、和学者 歌人 内大臣として 活躍
1487 文明19年5月21日 三条西実隆 次男 幼名 公保 母 勸修寺教秀3女
1489 延徳元年 兄 公順の出家に伴い家督相続 侍従 拝命
1497 明応6年12月 元服
1505 永正2年5月 蔵人頭 足利義政の一字を受け政為となる。
1485 文明17年2月 権中納言
1506 永正3年10月 権大納言
1513 永正10年8月8日 出家 法名 曉覚
1523 大永3年9月21日 歿
下冷泉 政為 しもれいぜい まさため
室町時代後期~戦国時代の公家、歌人として活躍 碧玉集の筆者
1446 文安3年 冷泉持為の子 幼名 成為
1475 文明7年 従三位
足利義政の一字を受け政為となる。
1485 文明17年2月 権中納言
1506 永正3年10月 権大納言
1513 永正10年8月8日 出家 法名 曉覚
1523 大永3年9月21日 歿
条西 実隆 さんじょうにし さねたか 。
室町時代後期~戦国時代の公家、歌人、能書家 雪玉集筆者
1455 享徳4年4月25日生 父 内大臣 三条西公保 きんやす 母 甘露寺房長の三女 京都武者小路に生 幼名 公世
1458 長碌2年 長兄 実連 死去のより 家督相続 従五位下 名を公延とする
1460 寛正元年 父 公保 死去 家督僧俗
1467 応仁元年 応仁の乱発生 鞍馬寺避難
1469 文明元年 元服 右近衛権少将 名を実隆
飛鳥井雅親に和歌を習う 一条兼良に古典を学ぶ
1502 文亀2年 飯尾宗祇から古今伝授 武野紹鴎に和歌を指導
1506 永正3年 内大臣 2カ月で致仕 退職
1516 永正13年 蘆山寺にて出家 堯空 ぎょうくう 号 逍遥院しょうよういん
1537 天文6年10月3日 歿
聞香に優れ 後橿原天皇より御香所預に任ぜられる。当代の文化人であった。
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古筆 短冊 台貼掛軸 三條西実隆 下冷泉政為 後柏原天皇主催着到和歌 。大倉好斎 おおくらこうさい極札
後柏原天皇主催着到和歌 永正6年9月9日開催の歌合の題 柳無気力の参加者15名中 3名を掲載」してあります。詳細は国立公文書館内閣文庫 蔵書 著到和歌 に掲載されていますので ご覧できる事と思われます。12名の和歌は上記蔵書に歌の掲載が有ります。此処では三条西実隆、下冷泉政為の2点が掛軸仕立てされております。参考資料に、三条西公条 の和歌が有ります。
三玉集とは 実隆の雪玉集、 政為の碧玉集 後柏原天皇の柏玉集
大倉好斎の極札が付属しています。
古識箱に入って居ります。
大倉好斎 おおくらこうさい メモ
古筆鑑定家
1795 寛政7年 8月京都生 大倉汲水の長男 幼名 政吉
1811 文政8年 2月落髪 好斎と名乗る。号 古昔庵。
1830 天保1年 8月 紀州徳川家お抱え古筆鑑定家
1862 文久2年 12月20日歿 68才
柳無気力 やなぎに気力なし
水鳥乃 みずとりの
浪耳志ら連ぬ なみにしられぬ
羽風さへ はかぜさえ
み衣てか多與流 みえてかたよる
青柳のいと あおやぎのいと
実隆 三條西実隆 さんじょうにし さねたか
水鳥が浪間を飛び交い 波にも分からない程の鳥の羽風にも 青柳が糸の様に一方へ枝を
流されている。
柳の若い枝は柔らかく 水鳥の羽風にも流されれている。
立ち向かわず、成すがままにされることにより 己を守ってます。
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