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茶道具からき
抹茶を飲もうとすると誰でも抹茶茶碗を思い描くと思います。 不思議とご飯茶碗と混同する日本人は少ないでしょう。 何故なんでしょうか、子供の頃からテレビドラマなどで、なんとなくその形、色合い、を朧けながら記憶の中に残っているからではないでしょうか。 そう考えると日本人は基本的な抹茶茶碗は抹茶を飲む器として丼、ご飯茶碗との違いを理解していると思われます。 用の美 この言葉は民芸運動の先駆者 柳宗悦 と記憶してますが、茶渡来の鎌倉、室町時代は唐物茶碗といわれる天目茶碗でした。室町時代の末期に侘び茶を創始した武野紹鴎、侘びと粗相が出会い、侘びにぴったりの朝鮮茶碗がもてはやされます。 朝鮮茶碗は日本の丼のようなものが多く、そのママでは抹茶茶碗には向かない大きさですが、その色形にテライがなく紹鴎はその中から手持ちが良く、重さも見た目としっくり合う小型の茶碗を取り上げ、侘び茶の茶碗として使い始めました。 紹鴎の侘び茶に心ひかれる千利休は紹鴎亡き後侘び茶を禅と結びつけ茶道として集大成しました。 茶碗も長次郎と茶を飲むだけの茶碗、楽茶碗を造りだします。 また、秀吉の朝鮮出兵は焼物戦争と呼ばれるように、多くの朝鮮人陶工を日本に連れ帰って各地に朝鮮茶碗が造られるようになります。 利休の弟子、古田織部は利休とは異なる、異端の美といえる変形茶碗、茶碗に幾何学模様を入れた茶碗、江戸初期には野々村仁清が色絵の茶碗を世に出し、その後、町民も茶道を楽しむようになると京都に抹茶茶碗の工房が多く造られ今日に及んでいます。 |
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①抹茶茶碗の形
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